Booth

『ブース』 “Booth” by Karen Joy Fowler, 2022

とてつもなく面白い。超おすすめ★★★★★。1865年ワシントンのフォード劇場で、リンカーン大統領を暗殺した俳優ジョン・ウィルクス・ブースの一族を描く歴史小説。この小説はその兄弟姉妹の視点から、有名俳優一家が米国史上初の大統領暗殺者を産み出すプロセスを浮かび上がらせる。

ジョンの父ジュニアス・ブースはシェイクスピア演劇俳優で、当時のアメリカで国民的スターであった(日本で言えば多分、石原裕次郎?)。一方で大酒のみで数々の奇行でも知られていた。ジュニアスには12人の子供が生まれるが大半が幼くして死んでしまう。前半は次々に子供を失う喪失のトーンで進む。父ジュニアスは家族にある重大な秘密を20年以上も隠していた。それが露見して家族は試練にさらされる。

欠陥を持つ人間、家族の秘密、苦悩、裏切り、暗殺…ブース家を見舞う悲劇と困難の成り行きが実にシェイクスピア的だ。登場人物たちはしばしばシェイクスピア演劇のセリフを練習するので一層、それが強調される。そして悲劇だけでなく、人間の愚かさや弱さが巻き起こす喜劇の要素も多く取り入れている。暗いばかりではないので読みやすい。

一部創作もあるが、史実に基づく歴史小説としてよく出来ている。南北戦争時代のアメリカを生きる人たちの日常がよく再現されている。大黒柱が役者のブース家は羽振りの良い時期と悪い時期が極端だ。餓死寸前の困窮生活から豪邸住まいまでアップダウンを経験する。特にジョンの姉、ローザリーとエイジアの視点から市井の生活者の暮らしぶりがどんなものであったかを知ることができる。

読者は最後に待っているのが大統領暗殺事件だと知っているので、ブース家に起きるすべての出来事の中に異質さの芽を探してしまう。しかしこの作品の狙いは、暗殺者ジョンの伝記を書くことではなく、激動の時代を生きたブース家の群像劇を描くことにある。日本で言えば明治維新もの、NHK大河ドラマのような物語の厚みがある。

シェイクスピア、リンカーン、南北戦争の史実をおさえておくとその厚みをさらに楽しめる。シェイクスピアを家族の視点から描いた『ハムネット』(マギー・オファーレル、2020)。リンカーンを亡霊たちの視点から描いた『リンカーンとさまよえる霊魂たち』(ジョージ・ソーンダーズ、2017)、シェイクスピア演劇とアメリカ史のつながりを語る”Shakespeare in a Divided America”(ジェイムズ・シャピロ、2020)などが最近のおすすめ関連本。

カレン・ジョイ・ファウラーは2014年に『私たちが姉妹だったころ』でペン/フォークナー賞受賞している。チンパンジーと一緒に育てられた子供の話だったが、私は今回の『ブース』の方が好きだ。ブッカー賞候補になるか。

daiya

デジタルハリウッド大学教授 メディアライブラリ館長。多摩大学客員教授 ・データセクション株式会社顧問。書評家・翻訳者。

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