The Nineties
『90年代』 “The Nineties” by Chuck Klosterman, 2022
90年代は事実上、ベルリンの壁の崩壊(89)で幕を開け、ツインタワーの崩壊(2001)で終わった。アメリカはブッシュ(父)とクリントン大統領の時代で、ニルバーナのカート・コバーンが自殺し、『タイタニック』が大ヒットし、「クイア」が生まれ、ペローが選挙を攪乱し、クリントンがセックススキャンダルを起こし、『となりのサインフェルド』を4人に1人が視聴し、そして”You’ve got mail”が1日に2700万回鳴り響いた時代だった。
必死にがんばることがカッコ悪い時代だった。
「90年代は、何もしないことが有効な選択肢となり、ある種のクールさが何よりも重要になった。そのクールさの本質は、昔ながらの「成功」に興味がないということだった。90年代は野心家の時代ではなかった。最悪なのはセルアウト野郎(金儲け主義のアーティスト)になってしまうことだった。セルアウトにお金が絡むからというわけではない。セルアウトになるには有名である必要があり、露骨な承認欲求を示すことは、ひどい人間だという証明だったのだ。」*
カート・コバーンは、インタビューで「俺たちはパンクバンドのグループを崇めながら育ったから、あいつらが皆ポップチャートに入るのがイヤな感じだったんだ…で、いきなり自分たちもそんなバンドのひとつになってしまったのさ」**と語った。グランジファッションで、有名になったことを自己嫌悪してみせるカートこそ時代の求めるヒーローだった。
クロスターマンは「新しい世代は皆、20年前の世代に興味を持つ傾向がある」と書いた。1990年代の若者=ジェネレーションXは反戦とヒッピームーブメントの1970年代に関心を持った。しかしジェネレーションXは前の世代と違って数が少なく力がなかった。1992年の統計によるとアメリカ家計資産のわずか0.8%しか保有しない弱小世代だったのだ。世界を変えようがない。”ecstatically complacent”(自己満足に浸りきった)態度はそうした行き場のない状況への反応だった。
クロスターマンは冒頭の脚注で透明性確保のためとして「私は1972年に生まれた。白人で異性愛者のシス男性だ。経済的には1990年には下流の上、1999年には中流の中で、これを書いている時点では上流の下だ。」と立場を明確にしている。
映画、音楽、テレビ、スポーツ(野球とバスケ)、政治、経済、ジェンダー、人種、などあらゆる切り口で90年代を批評する。知的でウィットに富む文体に魅了された。対象と距離を取った冷めた語り口が印象的だ。しかし客観を装っても、どうしても語り手のイデオロギーや価値観が見えてしまうのが面白い。アメリカの白人のジェネレーションXの考える典型的な90年代とはこういうものかと。日本で育った私としてはピンとこない章もいくつかあったが、映画、音楽への総括は特に面白かった。再び観たり聞いたりしなければいけない作品の長いリストができた。
そしてクロスターマンの振り返る90年代には未来へのヒントも隠れている。1992年に大統領選挙を攪乱した大富豪ロス・ペローは後のドナルド・トランプを、1993年の世界貿易センター爆破事件は2001年の同時多発テロを想像させる。時代は奇妙な形で繰り返すということをクロスターマンは教えてくれる。
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“In the nineties, doing nothing on purpose was a valid option, and a specific brand of cool became more important than almost anything else. The key to that coolness was disinterest in conventional success. The nineties were not an age for the aspirant. The worst thing you could be was a sellout, and not because sell out involved money. Selling out meant you needed to be popular, and explicit desire for approval was enough to prove you were terrible.”
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“We had grown up admiring punk bands and thinking all those groups on the pop charts were embarrassing…and suddenly we were one of those bands.”