Commodore: A Company on the Edge
『コモドール:ギリギリをゆく企業』
“Commodore: A Company on the Edge” by Brian Bagnall, 2012
パーソナルコンピュータの黎明期は、歴史修正主義者によって、アップルやマイクロソフトやIBMが中心だったかのように不当に書き換えられてしまったが、最初のパソコンはコモドールが作ったし、普及させたのもコモドールである、という渾身の反撃。西和彦も岩田聡も、コモドール日本支社のオフィスにたむろする”グルーピー”に過ぎなかった。
この本はコモドール社という今は亡き会社のドキュメンタリだが、80年代のコンピュータ草創期の貴重な証言を多く含んでいる。暴君ジャック・トラミエルと天才チャック・ペドルを中心に同社の黄金時代が細部まで丁寧に書かれている。ドラマチックで面白すぎ。★★★★★。
ポーランド出身でアウシュビッツの生き残りのジャック・トラミエルは、アメリカに移民してタクシー運転手、タイプライターの修理工として働いた後、カナダに渡り、1954年にコモドール・タイプライター・カンパニーを設立する。その後、タイプライター製造から機械式計算機へと重心を移し、1962年にはコモドール・インターナショナル・リミテットとしてニューヨーク株式市場に上場する。60年代後半には電子計算機の製造を開始する。
トラミエルはナポレオンとマキャベリを足して二で割ったような独裁者タイプの経営者だった。1976年マイクロチップ6502の開発会社モステクノロジーを買収してパーソナルコンピュータの生産を開始する。この買収により、天才技術者チャック・ペドルがコモドールに合流する。チップ製造から小売りまでの垂直統合とペドルの持つ技術力によってコモドールの大躍進が始まる。
アップルのスティーブ・ウォズニアックは市場にある部品でコンピュータを作ったが、チャック・ペドルはその部品をゼロから作った。アップルはコモドール傘下のMOSからチップを買ってコンピュータを作った。
1977年にはコモドール PET、アップルのApple II、タンディのTRS-80が発売され御三家(トリニティ)と呼ばれたが、実際にはアップルに大差をつけてPETが売れていた。アップルIIは当初週に5台しか売れていなかった。1982年の時点でByte MagazineはPETを「最初のパーソナル・コンピュータ」と結論した。
ジャック・トラミエルはタイプライター販売のビジネスの頃から常に低価格戦略を取って成長してきた。パーソナル・コンピュータに進出してからも「富裕層ではなく大衆のためのコンピュータを作る we should make computers for the masses , not the classes」をモットーに低価格の市場を席巻した。なにしろチップが自社製なのだから安く作れる。競合のアップルは同じMOSのチップを買って作るのだから、かなうわけがなかった。
商売上手で知られるユダヤ人のトラミエルだったが、彼の戦略を脅かしてきたのは常に日本企業だった。彼は勤勉で賢い日本人を恐れ、そして尊敬していた。市場を制覇しても「日本がやってくるぞ、お前たちも日本人のようになれ The Japanese are coming , so we will become the Japanese 」と部下に教えていた。日本人の幹部のトニー・トウカイ(東海太郎)、ヤッシュ・テラクラを重用し、コモドールジャパンは国際グループの中で重要な役割を果たした。
コモドールはPET 2001(1977)、VIC-1001(1980)、VIC-20(1980)、マックスマシーン(1982)、コモドール64(1982)、Amigaなどの名機を世に送り出した。中でもコモドール64の販売台数は1250~1700万台と推定され、史上最も売れたコンピュータとしてギネスブックに掲載されている。
コモドールが一時代を築いたのは、社長のジャック・トラミエルとリーダーシップと、チャック・ペドルの技術力があったからだった。トラミエルは、インナーファミリーと呼ばれる側近に重要な仕事を任せた。飴と鞭で彼らを支配した。仕事ができればすぐ出世させるが、期待にそわない者には何時間も罵声を浴びせ、懲罰転勤を命じる「ジャックアタック」の餌食にした。多くの幹部はジャックアタックに耐え切れず、半年程度で離職した。しかし、戦略は正しかったので会社は成功した。辞めた幹部の中にはトラミエルと働けたのは楽しかったと回顧する人もいて、激しいが魅力のある独裁者だったらしい。
創業社長で独裁をふるったトラミエルだったが、一人だけ頭が上がらない人物がいた。大株主でコモドールの経営危機を何度も救ってきた富豪のアーヴィング・グールドだ。会社にもめったに現れなかった謎の多い人物だが、彼が絶頂期のトラミエルを追放してしまう。
コモドール社は1958年に設立され1994年に解散した。この本はコモドール全史全四巻の第二巻にあたり(草創期を描く第一巻はまだ発売されていないが)、PET 2001~コモドール64を発売した黄金期を描く。この後、新CEOのもとでコモドールはAmigaで最後の光を放った後、転落していく。もしもトラミエルが社長を続けていたら、コンピュータの業界は違った形になっていたかもしれない。
マックスマシーンはなぜ日本で短期間発売されただけで他国で販売されなかったのか。長年の疑問が解けた。当時コモドールは業界の価格競争に陥り、上位機種の価格をマックスマシーンと同じ低価格帯に下げたため、マックスマシーンを売ることができなくなったのだった。