Grey Bees

ウクライナを代表する作家アンドレイ・クルコフが、ロシア侵攻前の2018年にロシア語で発表した小説。ロシアとウクライナの紛争地帯が舞台で緊張感はあるが、暗い戦争小説ではなく、ウィット、ユーモアに富む人間ドラマで、読むのが楽しかった。

主人公のセルゲイ・セルゲイッチは鉱山の安全検査員を辞めて養蜂家になった49歳で、離婚しており妻と娘は別の場所で暮らしている。彼が住んでいるドンパスは、ウクライナ軍の支配地域とロシアが支援する分離主義者が対立する境界「グレーゾーン」にある。爆撃やスナイパーの狙撃が激しくなって住民は逃げ出し、この街に住むのはセルゲイと隣人のパシュカの二人だけになってしまった。セルゲイにとってパシュカは長年の宿敵だったが、電気が止まり、危険と隣り合わせの環境になった今、二人は協力せざるを得なくなる。

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Erewhon

1872年出版、日本は明治維新の真っ只中に書かれたシンギュラリティSF小説。

1835年生まれで、高名な教育者の司教を父に持つサミュエル・バトラーは、親から遺産分与を早めにもらい、イギリスの植民地になって十数年のニュージーランドに移住した。牧畜で暮らしていたが、ある日町の小さな本屋でダーウィンの『種の起源』を手に取った。彼は進化論の熱烈な信奉者になった。新聞にダーウィンを称賛する寄稿をし、ダーウィンの家を訪問して歓待された。

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Babel, Or the Necessity of Violence: An Arcane History of the Oxford Translators’ Revolution

決定打きた!2022年最高の小説はこれだ!超ド級の言語の力をめぐる幻想ファンタジー。震えた。打ちのめされるようなすごい本だ。★★★★★。

1828年の中国広東、母親をコレラで亡くした少年は、後見者になったオックスフォード大学の言語学教授リチャード・ラヴェルによってイギリスに連れてこられた。少年は教授に英語の名前に改名するように命じられ、ロビン・スイフトと名乗るようになった。ロビンは教授の家でラテン語、古代ギリシア語、英語、中国語の猛特訓を受けてすべての言語に流暢になった。そしてオックスフォード大学の王立言語学研究所”バベル”へ入学した。そこには世界中から多様な言語の研究者が集められ、”シルバーワーキング”という魔術に取り組んでいた。

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After Sappho

ブッカー賞ノミネート作品。

“The first thing we did was change our names. We were going to be Sappho,”

私たちが最初にしたのは名前を変えることでした。サッフォーでいくことにしました。

古代ギリシアの詩人サッフォー(630~570 BC)は、同性愛者だったと言われ、彼女が住んだレスボス島からレズビアンという言葉が生まれた。一説によると、サッフォーは島に選ばれた子女だけが入学できる女子高を作ったという。サッフォーが書いた詩は、完全な形で残っているものはわずかで、多くの作品は他の作家の作品の中に引用される形で、断片的に伝わっている。

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Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow

な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁっ!?(松田優作風)。私の今年のベストはこれにするかも。特に後述する条件を満たす人には感涙必須の神本。刺さりすぎる。★★★★★。

1987年、11歳の少女セイディ・グリーンは、白血病で入院している姉を訪ねた病院の遊戯室でテレビゲームを遊んでいた同い年の少年サム・メイザーと出会う。サムは交通事故で足に重傷を負って長期入院中だった。サムは、セイディにスーパーマリオ・ブラザーズで旗竿のてっぺんに乗る方法を教えた。ふたりは何時間もゲームに熱中した。セイディはその日以来、両親と一緒に妹の見舞いにくるたびに遊戯室に通うようになった。ふたりは600時間以上、一緒にゲームと遊び、友情を育んだ。しかしセイディが隠していた小さな秘密がサムにばれて、ふたりの関係は唐突に終わってしまう。

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The Seven Moons of Maali Almeida

ブッカー賞受賞作。

スリランカの現代政治批評、ヒンズー教の死生観、マジック・リアリズム、知的で冷笑的な語り口…2022年ブッカー賞最終候補に残っているシェハン・カルナティラカは、スリランカ版サルマン・ラシュディだ。

スリランカ人のフォトジャーナリスト、マーリ・アルメイダは目覚めると、異世界にいて意識が朦朧としていた。悪友に飲まされた薬のせいかと思ったが違った。彼は何者かに殺され、煉獄にいるのだった。鬼と幽霊が闊歩する「狭間」で、死者たちは「光の世界」へ入るための事務手続きの行列に並んでいた。死者には煉獄の世界に7つの月(地球の時間で七日間)の期間、滞在が許されている。それは死者が直近の人生を思い出し、忘れるための時間だった。

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The Colony

1979年の夏、アイルランドの西にある島に、イギリス人の中年の画家ロイドが、島民の案内で船で渡ってくる。彼の絵はロンドンで人気が低迷していた。島の独特の岩礁を描くことで「北半球のゴーギャン」になり、ディーラーの妻を見返してやろうとロイドは画策している。島は過疎化が進んでおり、島民は彼のような外部の人間に家を貸すことで貴重な現金収入を得ていた。

ロイドが到着すると、すぐにもうひとりの訪問者、フランス人の言語学者マソン(通称JP)が島にやってくる。彼は過去5年間、毎年この島を訪問してゲール語の調査を行っている。島民たちは英語ではなく、古い土着の言語を主に使っていた。マソンはこの研究成果で大学教授のポストを確実なものにしようと目論んでいる。

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The Perfect Golden Circle

1989年のイギリスで、ミュージシャン崩れでおしゃべりなレッドボーンと、フォークランド紛争の退役軍人カルバートの2人は、熱い夏の週末、夜中に車で広大な畑のあるエリアへでかけてミステリーサークルを作り続ける。

綿密なリサーチで場所を選定し、斬新なデザインで人を驚かすサークルを作る。2人は暗黙のルールに従っている。同じ場所には2度と行かない。畑を破壊してはいけない、もし捕まったら黙秘を貫く、デザイン案などのメモは破棄する、絶対にこのことを人に話してはならない、酒は一杯か二杯までにする、など。

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Oh William!

エリザベス・ストラウトは英語が読みやすいのでピュリッツアー賞の「オリーブ・キタリッジの生活」以降、ほぼ全作読んできた。本作はあの人間ドラマの名手が、人間を理解するとはどういうことかというテーマに真正面から挑んだ。

60代の作家ルーシー・バートンは夫デービッドに先立たれた。前夫ウィリアムとの間には二人の娘がいて、今もよく連絡を取っている。70代のウィリアムはルーシーと別れた後に再婚した妻に去られ、一人で暮らしている。ルーシーとウィリアムは今更復縁する意思はなかったが、互いの人生のよき理解者だと考えていた。ある日ウィリアムがオンラインで家系を調べていると、会ったことがない妹がいることが判明する。ウィリアムはその妹を探す旅にルーシーを誘う。

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Case Study

1965年のロンドン、作家のGMB(著者のイニシャル)はマーティン・グレイを名乗る謎の人物から、彼の従妹が遺したという6冊のノートを郵送で受け取った。グレイはGMBにそのノートを元にして本を書いてほしいと依頼した。

ノートは匿名の女性によって書かれていた。彼女にはベロニカという姉がいた。ベロニカはカリスマ心理療法士のコリンズ・ブレイスウェイトの診察を受けていたが、クリニックの傍で飛び降り自殺をしていた。ノートの書き手は姉の死は心理療法が原因と考え、調査のためにレベッカ・スミスという偽名を使ってブレイスウェイトの患者になった。

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Glory

”ここは動物農場ではなく、ダともうひとつダがつくジダダだ!”

物語冒頭の演説の中で、ジダダ国の独裁者オールドホースの妻”ドクター・スイート・マザー”が否定しているが、”Glory”は現代のジンバブウェを舞台にした『動物農場』だ。ジンバブウェでは2017年に副大統領(75歳、あだ名がワニ)主導の革命が起き、1980年より37年間に渡って独裁統治を続けたロバート・ムガベ大統領(94歳)が辞任した。この独裁者の妻のモデルはムガベの妻グレース夫人だ。国民は革命によって民主化と経済の停滞が回復することを願ったが、新たな高齢の独裁者の下で混乱は続いている。

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The Trees”

どんどん過激化する、寝不足間違いなしの犯罪スリラー。ここ数年で読んだスリラーの中で最も残虐で陰鬱だが、読み始めたら止められなかった。ラストは本当にとんでもないことになる。2021年度ペン・フォークナー賞の候補作

ミシシッピー州の田舎町マネーで殺人事件が起きる。現場には白人の成人男性と黒人の少年の死体が横たわっていた。少年の首には有刺鉄線が巻かれていた。白人の性器が切り取られており、少年の手に握られていた。ふたりが互いに殺しあったかのような不可解な現場だった。

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The Kaiju Preservation Society

腹に天然の原子炉を持つ怪獣たちが大暴れ。ヒューゴー賞作家による日本の怪獣映画へのオマージュたっぷりのSF小説。換骨奪胎された異次元のゴジラ・モスラが楽しい。ITベンチャー要素もあり。間違いなくドラマ化されそう。

2020年、パンデミックがニューヨークを襲った。フードデリバリーベンチャーのエグゼクティブ、ジェイミー・グレイはCEOから突然解雇を言い渡され、末端の配達員として生計を立てている。配達先で古い知り合いのトムと出会う。トムは勤務先のKPSというNPOでポストに空きがあるとジェイミーを誘う。

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The Netanyahus: An Account of a Minor and Ultimately Even Negligible Episode in the History of a Very Famous Family

『ネタニヤフ家:ある有名な一族の歴史における些細な、そして最終的には無視できるようなエピソードの記録』”The Netanyahus: An Account of a Minor and Ultimately Even Negligible Episode in the History of a Very Famous Family” by Joshua Cohen, 2021 聴いた。ユダヤ感濃縮の暴露コメディ。

2021年度ピュリッツアー賞フィクション部門受賞作。『イスラエルの王』と呼ばれ、長く同国の顔として君臨したが、2021年に汚職で王座から引きずり降ろされたベンヤミン・ネタニヤフ元首相。彼の父親ベン=シオン・ネタニヤフは歴史学者で一時期アメリカのコーネル大学で教授を務めた。このときベンヤミンを含むネタニヤフ一家はアメリカで生活をしていた。

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Winter in Sokcho

2021年度全米図書賞翻訳文学賞作品。舞台は韓国と北朝鮮の国境にある観光都市の束草。夏は海水浴客でにぎわうが冬は閑散としている。名前のない主人公は25歳の女性でフランス系韓国人。彼女はフランス人の父親の記憶はなく、韓国人の母親に育てられた。外国語はフランス語より英語の方が得意だ。ソウルの大学を卒業後、母親の面倒をみるために故郷に戻り、ゲストハウスの受付嬢として働いている。

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