After Steve: How Apple Became a Trillion-Dollar Company and Lost Its Soul

『アフター・スティーブ:アップルはいかにして3兆ドル企業になり魂をなくしたのか』”After Steve: How Apple Became a Trillion-Dollar Company and Lost Its Soul” by Tripp Mickle, 2022

アップルの時価総額は2011年ジョブズの死去時に約3500億ドルだったが2022年1月には約8.5倍の3兆ドルを超えた。この奇跡的成長を牽引したのがこの本の2人の主役CEOのティム・クック、CDOのジョニー・アイヴだ。アイヴが魔法と発明で需要を作り出し、クックがメソッドとプロセスでその需要を満たした。しかしジョブズとアイヴの時代と比べると「魔法よりもメソッド、完璧さよりも持続力、革命よりも改善の勝利」だった。

ティム・クックは日本史で言えば石田三成である。カリスマの闘将ではないが在庫管理の天才だ。ジョブズと違ってイノベーションではなく数字を重視する。ジョブズはアイヴのいるデザイン部門に毎日通ったが、クックはほぼ訪れず、セールスのために世界を飛び回る。

クックは1982年〜1994年までIBMでパーソナルコンピュータ事業部門のディレクターを務めた。当時のIBMのパソコンはアジアで下請けを締め付け部品を安く調達することでアップルに対抗していた。クックはそこでタフな交渉術と在庫管理で頭角を現した。1998年コンパックの重役になったが半年で辞めて、アップルのオペレーション担当上級副社長として迎えられた。当時のアップルは瀕死の状態で一度は追放した創業者スティーブ・ジョブズを暫定CEOとして呼び戻した時期だった。

ジョニー・アイヴはジョブズが「アップルの精神的パートナー」と呼んで可愛がったデザイナーで1998年リリースのiMacの大ヒットを皮切りにiPod,iPhone,iPad,MacBook Air,iMac G3など、2019年6月に退社するまでアップルの主要製品のデザインを率いた。2011年にジョブズが亡くなった後もアップルが魅力的な新製品を作り続けられたのはアイヴの力だった。

CEOのクックは人間的には優しい人である。独裁者だったジョブズと正反対で民主的な会社運営を重視する。フォーチュン500の経営者ではじめてカミングアウトしたゲイでもある。ジョブズとは違った形で多様で優秀な人材を引き込む組織を作った。クックはデザインに口出ししなかったのでアイヴは自由にモノづくりに没頭できた。だがクックはそれまでのアップルの主力だったプロダクトよりも、利益率の高いiCloudや音楽配信等のサービスに経営の重点を置くようになる。その結果、投資家はクックを支持した。アップルは時価総額3兆ドル企業に成長したがモノづくりのアイヴは燃え尽きて退社を決意する。

この本はアップルの経営がイノベーションからオペレーション・エクセレンスにシフトしたことを「魂を失った」と表現している。クリエイティビティの精神的支柱だったアイヴを失ってこれからアップルがどうなるのか、著者は懸念している。

『アフター・ジョブズ』といいながら生前のジョブズもよく登場する。ジョブズを失った直後の幹部たちのショックは大きくしばらくの間経営会議はジョブズの座る席を空けたまま開催された。ジョブズ後のアップルを世界に印象付けるため代理店がジョブズの遺言的なCMを作るが、アップルのマーケティング担当者は試写で泣き出し「これは放映できません」の一言でボツになる。ジョブズの影は今もひきずっている。

ニューヨークタイムズのアップル担当記者トリップ・ミックルは200人以上のアップルの現役あるいは元の経営者、従業員、取引先社員にインタビューを行い、匿名の条件で秘話を引き出した(匿名にしないとアップルに訴えられるので)。クックとアイヴ以外にも、開発、マーケティング、広報、新社屋建設などアップルの様々な部門のリーダーも登場する。失敗を含む新製品やプロモーションキャンペーンの物語や、中国市場やトランプ政権とのつきあいにまつわる苦労話などミニストーリーが散りばめられている。少々細かすぎる気もするのだが、スティーブ後のアップルを総括するよくできたアップル列伝だ。

daiya

デジタルハリウッド大学教授 メディアライブラリ館長。多摩大学客員教授 ・データセクション株式会社顧問。書評家・翻訳者。

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