Erewhon

『エレホン』Erewhon by Samuel Butler, 1872
1872年出版、日本は明治維新の真っ只中に書かれたシンギュラリティSF小説。

1835年生まれで、高名な教育者の司教を父に持つサミュエル・バトラーは、親から遺産分与を早めにもらい、イギリスの植民地になって十数年のニュージーランドに移住した。牧畜で暮らしていたが、ある日町の小さな本屋でダーウィンの『種の起源』を手に取った。彼は進化論の熱烈な信奉者になった。新聞にダーウィンを称賛する寄稿をし、ダーウィンの家を訪問して歓待された。

ところが凝り性の彼はダーウィン以上に進化論に没頭してしまった。ダーウィンのどんなに小さな間違いも許せなくなった。反進化論と言うより、超進化論者に変貌し、メディアでダーウィンへの猛攻撃を始めた。ダーウィンは生涯バトラーの批判に悩み続けた。

バトラーは匿名で小説を書いた。それがこれだ。英語のnowhereを逆から読むとErewhonになる。バトラーはこれを3音節でエレオみたいに読めと言っている。社会の常識が逆さまになってしまった国の名前だ。

小説の主人公は場所を明かさないが、これはバトラーが移住したニュージーランドのことである。主人公は危険な山岳地帯の向こうに隠れ住んだ反機械主義者たちの楽園エレホンを発見した。住人たちはとても上品で健康で美男美女ばかりだった。彼らは機械が進化すると、人間は機械の奴隷になると考えて、洗濯機以上のテクノロジーの利用を禁じている。この国の法律では懐中時計を所持しているだけで重罪だ。だから主人公は到着直後に逮捕されてしまう。

エレホンでは価値観が転倒している。詐欺や窃盗は大して問題にされないが、病気や体調不良が罪とされる。風邪を引いたら逮捕だし、もっと重い病気なら死刑だ。貧乏は犯罪、運が悪いことも罪になる。肥満や不細工も投獄、死刑である。だから容姿端麗で健康な人間しかいなかったのだ。容姿が良い、運が良い、健康な人は優遇される。主人公は懐中時計保持で逮捕されたが、肌が白くて金髪だったので釈放される。

そしてエレホンは数百年前に機械主義者と反機械主義者の戦いがあって、反機械主義者が勝利した過去があった。主人公はその歴史を調べる。そして機械が突然変異と自己複製の力を持てば、生物同様に進化し、人間を凌駕するという賢者の予言を知った。予言者は機械を使って機械を生産する産業革命の様子を見て「機械の生殖システムの一部として、人間が組み込まれている」と見て取った。そして「現在の機械がほとんど意識を有しないからといって、最後に機械に意識が生まれないという保証にはならない。」と言い、機械の使用を禁止したのだった。機械進化とその警告をする物語最後の『機械の書』は圧巻である。

『エレホン』は続編『エレホン再訪』もある。当時も奇書であったようだが、今読むとまた違った意味で異様な内容だ。そしてシンギュラリティと政府の自己責任論の押しつけが150年前に予言されていて見事に当たっているというのが驚きだ。

daiya

デジタルハリウッド大学教授 メディアライブラリ館長。多摩大学客員教授 ・データセクション株式会社顧問。書評家・翻訳者。

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