Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow
“Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow” by Gabrielle Zevin, 2022
な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁっ!?(松田優作風)。私の今年のベストはこれにするかも。特に後述する条件を満たす人には感涙必須の神本。刺さりすぎる。★★★★★。
1987年、11歳の少女セイディ・グリーンは、白血病で入院している姉を訪ねた病院の遊戯室でテレビゲームを遊んでいた同い年の少年サム・メイザーと出会う。サムは交通事故で足に重傷を負って長期入院中だった。サムは、セイディにスーパーマリオ・ブラザーズで旗竿のてっぺんに乗る方法を教えた。ふたりは何時間もゲームに熱中した。セイディはその日以来、両親と一緒に妹の見舞いにくるたびに遊戯室に通うようになった。ふたりは600時間以上、一緒にゲームと遊び、友情を育んだ。しかしセイディが隠していた小さな秘密がサムにばれて、ふたりの関係は唐突に終わってしまう。
それから8年後、サムは混雑したハーバードスクエア駅で偶然にセイディの姿を目にした。サムは彼女の名前を読んだが聴こえないようだった。そこで「セイディ・ミランダ・グリーン、あなたは赤痢で亡くなりました」と叫ぶと、セイディは即座に振り返った。人気ゲーム「オレゴン・トレイル」の有名なゲームオーバーのメッセージだ。
セイディはMITコンピュータ科学科の学生、サムはハーバード大学数学科の学生になっていた。疎遠になっていた間、ふたりは同じように80年代~90年代のゲームを遊んできて、すっかりゲームオタクになっていた。ふたりは昔のように意気投合し、一緒にゲームを作ることになった。セイディには知的で芸術的なセンスがあった。サムにはより幅広い層を楽しませるセンスがあった。サムのルームメートのマークス・ワタナベがプロデューサーとして加わって「アンフェア・ゲームズ」というスタートアップを設立した。彼らが作ったゲームは大ヒットして、サムとセイディは瞬く間にゲーム業界のロックスターのような存在になる。
若くして成功した彼らだが、会社を背負うと重いプレッシャーがのしかかるようになる。男性プログラマーのサムばかりが注目されることにセイディは憤る。斬新なゲームを作りたいセイディと、わかりやすさや、売りやすさを重視するサムやマークスとぶつかった。若く才能のある3人は、激しくぶつかりあいながら、次々に世の中を夢中にさせる作品を生み出していく。しかし、彼らが成功の頂点に差し掛かった時、すべてを壊す大きな悲劇が彼らを襲う。
愛情と友情、そしてそれを超えるものを探す3人の旅路。この本は控えめに言って傑作だが、(1)ゲームが好き、(2)文学が好き、(3)アジア人、もしこの3つが重なる読者ならば、涙なしに読めない大傑作だ。ゲーム:オレゴン・トレイル、スーパーマリオ・ブラザースに続いて80年代から2010年台のゲームが無数に言及される。サムとセイディはその影響を受けてゲームを開発する。彼らの会社の名前アンフェアゲームズは、人生のメタファーだ。彼らはゲームとその開発を常に人生を重ね合わせる。
タイトル”Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow”はシェイクスピアのマクベスから取られている。キーワードの”freight and groove”(貨物と溝)は”It is enough, the freight should be proportioned to the groove””というエミリー・ディキンソンの詩からの引用だ。セイディの開発するゲームエンジンの名前はユリシーズ。古今東西の文学が頻繁に言及されて文学好きの心をくすぐる。
そしてこの小説はアメリカ人の物語であると同時にアジア人の物語だ。セイディはユダヤ系アメリカ人、サムは韓国人とユダヤ人の両親を持つアメリカ人、マークスは日本人と韓国人の両親を持つアメリカ人で、著者のガブリエル・ゼヴィンは、ユダヤ系ロシア人の父親と韓国人の母親を持つアメリカ人だ。アジアの文化はもちろん、アジア人に対する偏見もリアルに織り込まれている。
この3つの要素に加えて、私がゼヴィンと同じ(4)X世代というのも共鳴した理由だ。彼女は1977年生まれで、米国でのスーパーマリオブラザーズ発売は1987年である。セイディ、サム、マークスは彼女の分身なので、細部の記述に神が宿っている。いつまでも読んでいたいノスタルジアの仮想世界がある。
パラマウント・ピクチャーズが既に映画化の権利を2百万ドルで取得している。日本文化とゲームが出てくるし、東京も舞台になる。日本でも大ヒット間違いないだろう。